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唐津焼と中里家

この地方で古くから生産されてきた焼き物である唐津焼は、この地特有の土が持つ素朴な風合いが大きな魅力の一つと言われています

約450年前、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連れてこられた朝鮮陶工達によって当時の最先端の陶芸技術や流行が伝わり、桃山文化とともに一気に花開きました。

江戸時代には唐津藩の献上品を焼く御用窯が藩内に3つ設けられましたが、この時、その一つの御用窯師に任命されたのが中里又七(初代太郎右衛門)でした。

以来、中里家は11代にわたり藩御用窯を務め、その後も現在に至るまで約430年の伝統を受け継いでいます。

12代太郎右衛門(無庵)は古唐津の技術を復活させ、人間国宝となりました。その息子である13代太郎右衛門(逢庵)は、作家としての功績が認められ、2007年に日本芸術院会員になっています。

そして現在、十四代太郎右衛門は、長い伝統の上に新しい唐津焼を創造し続けるべく精力的に活動しています。

1895-1985

12代 中里太郎右衛門(中里 無庵)​

1927年11代の次男、重雄が12代太郎右衛門を襲名。無庵は、途絶えていた古唐津の陶技を研究。その技術が認められ、唐津焼全般の陶技保存作家として、1976年文部省より重要無形文化財(人間国宝)に認められた。1985年正五位勲四等旭日小綬章を授与された。

1923-2009

13代 中里太郎右衛門(中里 逢庵)​

1969年12代の長男、忠夫が13代太郎右衛門を襲名。2007年、逢庵は日本芸術院会員に就任し、同年、美術文化功労により、旭日中綬章が授与された。

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